当たり前だと思っていることは、本当に正しいのだろうか。
僕たちは、いつの間にか多くの「当たり前」に囲まれて生きている。
普通はこうするもの。
昔からこう決まっている。
みんながそうしている。
それが世の中の常識だから。
そんな言葉を聞くと、深く考えることもなく、それを正しいものとして受け入れてしまうことがある。
もちろん、長い時間をかけて築かれてきた習慣や仕組みには、それなりの理由があるのだろう。
先人たちが経験から学び、失敗を繰り返しながら作り上げてきたものもある。
だから、すべての常識を否定する必要はない。
ただ、ひとつ考えてみてほしい。
その常識は、今の時代にも本当に必要なのだろうか。
昔は正しかったことが、今も正しいとは限らない。
以前は便利だった方法が、今では不便になっていることもある。
時代も環境も、人間の価値観も変わっていく。
それなのに、考えることをやめて、昔からの決まりだからという理由だけで従っていたら、新しい可能性に気づけなくなってしまうかもしれない。
当たり前を受け入れることと、当たり前を疑ってみること。
その違いが、これからの自分の可能性を大きく変えることもあるのだと思う。
みんなと同じであることが、正解とは限らない。
人間には、周囲と同じでいたいと思う気持ちがある。
自分だけ違うことをして、目立ちたくない。
周りから変だと思われたくない。
失敗して、笑われたくない。
そう考えるのは自然なことだと思う。
集団の中で生活していく以上、周囲との協調も必要だし、社会のルールを守ることも大切だ。
けれど、周囲と同じであることを優先しすぎると、自分自身の考えを持つことまで忘れてしまうことがある。
本当は違うと思っているのに、誰も反対しないから黙っている。
自分には別のアイデアがあるのに、今までのやり方を変えることが怖くて口に出せない。
本当は挑戦してみたいのに、周囲に前例がないという理由で諦めてしまう。
それでは、自分の中にある可能性を、自分で閉じ込めてしまうことになる。
みんなと同じ道を選ぶことが悪いわけではない。
大切なのは、みんなと同じ道を歩くにしても、自分で考えて選んだ道なのかどうかということだ。
周囲に合わせることと、自分の考えを持たないことは違う。
他人の意見を尊重しながら、自分なりの答えを持っていてもいい。
むしろ、違う考え方があるからこそ、新しい発見が生まれることもあるのだから。
独創とは、誰もやっていないことをするだけではない。
僕はデザイナーとして、何かを創り出すことに向き合ってきた。
デザインという仕事では、常に新しい発想が求められる。
けれど、新しいものを創るというのは、単純に奇抜なものを作ればいいということではない。
誰も見たことがない形にすれば、それだけで価値が生まれるわけでもない。
大切なのは、今あるものをそのまま受け入れるのではなく、別の角度から見つめ直すことだと思う。
なぜ、この形なのだろう。
なぜ、この色でなければならないのだろう。
なぜ、この方法が当たり前になっているのだろう。
そんな小さな疑問から、今まで気づかなかった可能性が見えてくることがある。
例えば、すでに完成されていると思われているものでも、使う人の立場を変えてみれば、不便な部分が見つかるかもしれない。
当たり前の組み合わせを変えてみれば、今までになかった表現が生まれるかもしれない。
既存のものを否定するのではなく、その中にある可能性を見つけ直す。
それも、ひとつの創造だと思う。
独創とは、何もないところから突然生まれるものばかりではない。
誰もが見ているものを、誰もが考えなかった視点から見つめること。
そこから、自分だけの発想が始まるのではないだろうか。
疑問を持つことを、恐れてはいけない。
何かに疑問を持つと、周囲と意見が合わなくなることがある。
今までのやり方を変えようとすれば、反対されることもあるだろう。
「余計なことをするな」
「今まで問題なかったじゃないか」
「そんなことを考えても意味がない」
そんな言葉を向けられることもあるかもしれない。
もちろん、疑問を持ったからといって、自分の考えが必ず正しいわけではない。
自分の発想が間違っていることもあるし、周囲の意見のほうが合理的なこともある。
だからこそ、疑問を持ったら、自分でも調べ、考え、確かめてみる必要がある。
ただ反対するだけでは、何も創造できない。
大切なのは、なぜそうなっているのかを理解したうえで、もっと良い方法がないかを考えることだ。
疑うことは、否定することではない。
考えることをやめないための姿勢なのだと思う。
誰かの意見を聞いて、自分の考えを修正したっていい。
自分の発想に足りない部分があれば、認めて改善すればいい。
それでも、自分の中に生まれた疑問を、最初からなかったことにする必要はない。
その疑問が、新しい何かを生み出すきっかけになるかもしれないのだから。
自分の頭で考えることを、手放さない。
今の時代は、情報を手に入れることが難しくない。
インターネットを使えば、世界中の情報に触れることができる。
誰かの成功例を知ることも、専門家の意見を聞くことも、さまざまな方法を比較することもできる。
便利な時代になったと思う。
けれど、情報が簡単に手に入るからこそ、自分で考えることを忘れてはいけない。
多くの人が支持しているから正しい。
有名な人が言っているから間違いない。
検索して最初に出てきた答えだから、それが正解だ。
そんなふうに、情報をそのまま受け取ってしまうのは危険なこともある。
情報は、考えるための材料であって、自分の判断をすべて代わりにしてくれるものではない。
誰かの成功方法が、自分にも合うとは限らない。
世間で評価されているものが、自分にとって本当に価値のあるものとも限らない。
だからこそ、情報を集めたあとに、自分の頭で考える時間が必要なのだと思う。
何が本質なのか。
何が自分に必要なのか。
本当に納得できる答えなのか。
その問いを持ち続けることが、自分らしい考え方を育てていく。
人の考えを参考にすることと、人の考えに支配されることは違う。
学ぶことは大切だ。
けれど、学んだことを自分の頭で考え直し、自分なりの価値へと変えていくことも同じくらい大切なのだ。
常識の外側に、自分だけの可能性がある。
今まで誰もやっていなかったことには、必ず理由があるかもしれない。
難しいからかもしれない。
需要がないからかもしれない。
技術的に実現できないからかもしれない。
だから、前例がないことに挑戦するなら、慎重に考える必要もある。
けれど、前例がないというだけで、可能性まで否定してしまうのは早すぎると思う。
過去に存在しなかったものが、今では当たり前になっていることもある。
かつては想像することさえ難しかった技術が、誰かの発想と挑戦によって現実になったこともある。
最初から多くの人に理解されるとは限らない。
新しいものが生まれるときには、疑問や反対意見が出ることもあるだろう。
それでも、なぜそれを創りたいのか。
どんな価値を生み出したいのか。
その理由を自分の中で明確にして、必要な努力を積み重ねていけばいい。
常識に従うことが必要な場面もある。
常識を変えることが必要な場面もある。
その違いを自分で考え、判断できる人間でありたい。
誰かが決めた枠の中だけで、自分の可能性を決めつけなくてもいいのだから。
― 独創誠心 ―
当たり前だからといって、
それが永遠の正解とは限らない。
昔からそうだったから。
みんながそうしているから。
誰も疑問を持たなかったから。
その理由だけで、
自分の考えることをやめてはいけない。
疑問を持とう。
別の角度から見つめてみよう。
誰かの答えを参考にしながら、
最後は自分の頭で考えよう。
常識を否定するためではなく、
もっと良い可能性を見つけるために。
新しいものは、
いつも当たり前の外側にあるとは限らない。
けれど、
当たり前を疑ってみなければ、
その可能性に気づけないこともある。
独創とは、誰かと違うことをするためではない。
誰も考えなかった可能性を、自分の意志で見つけ出すことだ。
常識に流されるのではなく、
常識を理解したうえで、自分の答えを創っていこう。
Do not accept everything simply because it is called normal.
Question what seems obvious. Explore different perspectives. Think beyond established answers.
Innovation begins when we look at familiar things in unfamiliar ways.
Do not question for the sake of being different. Question to discover a better possibility.
KENJI FUKUMOTO


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