何かがうまくいかないとき、人は自分を責めてしまう。
人生には、自分の思いどおりにならないことがある。
仕事がうまくいかない。
人間関係がうまくいかない。
努力しているのに、結果が出ない。
誰かに傷つけられたのに、なぜか自分が悪いような気がしてしまう。
そんなとき、人は自分自身に問いかける。
「自分の何がいけなかったのだろう。」
「もっと頑張ればよかったのだろうか。」
「自分に能力がないから、こうなったのだろうか。」
反省することは大切だと思う。
自分の行動を振り返り、改善できるところを見つけることは、成長につながるからだ。
でも、何でも自分のせいにすることと、自分を成長させることは違う。
世の中には、自分の努力だけでは変えられないこともある。
相手の考え方、家庭の事情、経済的な問題、突然起きる出来事。
どれだけ真面目に生きていても、思いがけない困難に直面することはある。
それなのに、すべてを自分の責任だと思い込んでしまったら、心がいくつあっても足りない。
自分にできることを考えるのは大切だ。でも、自分にはどうにもできなかったことまで、背負い続けなくていい。
あなたが悪いとは限らない。
いじめられたとき。
誰かにひどい言葉を浴びせられたとき。
理不尽な扱いを受けたとき。
「自分にも悪いところがあったのかもしれない」と考えてしまう人がいる。
僕自身、小学生の頃にいじめを経験し、虐待も経験した。
だからこそ、伝えたいことがある。
誰かに傷つけられたことを、あなた自身の価値の問題にしなくていい。
相手が何を考えていたのか。
なぜ、そんな行動をしたのか。
そのすべてを、あなた一人で解き明かす必要はない。
相手の行動まで、自分の責任にしなくていい。
もちろん、自分の行動に改善すべきところがあるなら、そこから学べばいい。
でも、それと相手から受けた不当な扱いを受け入れることは別の話だ。
誰かの言動によって傷ついたのなら、傷ついた自分の気持ちを大切にしていい。
離れてもいい。
助けを求めてもいい。
自分を守るために、環境を変えてもいい。
自分を振り返ることと、自分を否定することを、混同しないでほしい。
反省は、自分を責め続けるためにあるのではない。
失敗したとき、反省することは必要だ。
なぜ失敗したのか。
どこに問題があったのか。
次はどうすればいいのか。
考えることで、経験は知識になり、知識は次の行動につながっていく。
しかし、反省がいつの間にか自己否定に変わってしまうことがある。
「あのとき失敗した自分は駄目だ。」
「何をやってもうまくいかない。」
「自分には何もできない。」
これでは、失敗から学ぶどころか、自分の可能性まで閉ざしてしまう。
失敗したという事実と、自分には価値がないという結論の間には、大きな隔たりがある。
一度の失敗で、すべての能力が否定されるわけではない。
一つの仕事がうまくいかなかったからといって、別の仕事までできないとは限らない。
一人とうまくいかなかったからといって、すべての人間関係がうまくいかないと決まったわけでもない。
だから、失敗したときは、自分に問いかけてみよう。
「次に生かせることは何だろう。」
自分を責めるためではなく、次の自分を創るために。
反省は、自分を罰するための時間ではない。未来の自分に、経験を渡すための時間だ。
自分の力だけでは、どうにもならないこともある。
僕はこれまで、いろいろな経験をしてきた。
社会が嫌になったこともある。
人生を投げ出したくなったこともある。
お金に困り、社会制度を利用したこともある。
そのような状況にいるとき、自分の力が足りないからだと考えてしまうこともあるかもしれない。
でも、生活の問題を一人の努力だけで解決できるとは限らない。
収入、住まい、家庭、仕事、健康。
いくつもの問題が重なれば、どれか一つを解決することさえ難しくなる。
そんなときに必要なのは、自分を責め続けることではなく、何を使い、誰の力を借りれば状況を変えられるのかを考えることだ。
社会の制度を利用することも、誰かに相談することも、自分の力がないことの証明ではない。
必要な支援を受けることも、自分の人生を前に進めるための選択だ。
僕は今、生きている。
そして、デザインをし、ブランドをつくり、こうして文章を書いている。
過去に助けを借りた自分も、今、誰かの力になろうと努力している自分も、同じ自分だ。
過去の自分を否定しなくても、未来の自分を創ることはできる。
助けを必要とした過去があるからといって、これから誰かの役に立てないわけではない。
自分を許すことも、前へ進むための選択だ。
人は、自分の失敗や後悔を何度も思い出すことがある。
「あのとき、別の選択をしていれば。」
「もっと早く気づいていれば。」
「どうして、あんなことをしてしまったのだろう。」
過去を振り返ることはできる。
けれど、過去の自分を何度責めても、その出来事そのものが変わるわけではない。
もし、自分の行動によって誰かを傷つけてしまったのなら、謝ることや、同じことを繰り返さないために行動を変えることが必要だろう。
自分の責任から逃げることと、自分をいつまでも責め続けないことは違う。
過ちを認める。
必要なら謝る。
できる範囲で償う。
そして、これからの行動を変えていく。
それが、過去と向き合うということなのだと思う。
自分を許すことは、何もかも正しかったことにするのではない。
過去をなかったことにするのでもない。
過去から学んだうえで、もう一度、自分の人生を歩き始めることだ。
これからの自分まで、過去に決めさせなくていい。
以前、僕は「変わることは、自分を捨てることじゃない。」という記事を書いた。
人は、いつからでも変わることができる。
考え方を変えることもできる。
行動を変えることもできる。
これまでとは違う環境を選ぶこともできる。
そして、自分自身への接し方も変えていける。
過去に失敗した自分。
誰かに傷つけられた自分。
誰かを傷つけてしまった自分。
何もできなかったと感じている自分。
それらは、確かに自分の人生の一部だ。
でも、それだけが自分のすべてではない。
これから何を学ぶのか。
誰と出会うのか。
どんな行動を選ぶのか。
どんなものを創り出すのか。
その先には、まだ決まっていない未来がある。
だから、今の自分を見て、未来まで決めつけなくていい。
過去の自分を責め続けるより、これからの自分に何ができるのかを考えてみよう。
小さなことでいい。
今日できることを一つ見つける。
昨日より少しだけ、自分を大切にする。
困ったときには、誰かの力を借りる。
その一つひとつが、これからの人生を創っていく。
すべてを背負わなくても、自分の人生は歩いていける。
真面目な人ほど、責任感の強い人ほど、何でも自分で解決しようとすることがある。
誰かに迷惑をかけたくない。
弱い人だと思われたくない。
自分が頑張れば、何とかなるはずだ。
そんな思いが、自分を追い込んでしまうこともある。
でも、人生はすべての問題を一人で解決できた人だけが進めるものではない。
立ち止まってもいい。
助けてもらってもいい。
間違えたら、やり直してもいい。
自分にできることは精一杯やる。
それでも難しいことは、誰かと一緒に考える。
自分の責任には向き合う。
けれど、自分には変えられないことまで背負い込まない。
そんな生き方があってもいい。
僕たちは、何もかも完璧にできる人間になるために生きているわけではない。
自分の人生を、少しずつ創っていくために生きている。
だから、どうか忘れないでほしい。
あなたが背負うべきものと、あなたが背負わなくてもいいものは、同じではない。
自分を責める前に、一度だけ立ち止まってみよう。
本当に、すべてが自分のせいなのだろうか。
そして、これからの自分に、何をしてあげられるだろうか。
その問いから、新しい一歩が始まるかもしれない。
― 独創誠心 ―
すべてを、
自分のせいにしなくていい。
できなかったことがあっても、
あなたの価値は消えない。
傷つけられた過去があっても、
あなたの未来まで、
傷ついたままである必要はない。
間違えたなら、
そこから学べばいい。
苦しいなら、
誰かの手を借りればいい。
変えられない過去を、
いつまでも背負い続けなくていい。
自分の責任には向き合おう。
でも、
自分を罰するためだけに、
人生を使わなくていい。
昨日の自分を責めるより、
今日の自分を大切にしよう。
そして明日、
もう一度、
自分の人生を創っていこう。
あなたの過去は、あなたの一部。
けれど、あなたの未来は、まだ決まっていない。
You are not to blame for everything.
Learn from your past.
Protect your heart.
Let go of what you cannot control.
Take responsibility for what you can change.
Your past is part of your story.
Your future is still yours to create.
KENJI FUKUMOTO



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