「自分のことは、自分で何とかしなければならない。」
僕は、そう思って生きてきたところがある。
誰かに頼るより、自分で考える。
誰かにやってもらうより、自分でやってみる。
失敗しても、自分で立ち上がる。
自分の人生なのだから、自分の足で歩く。
それは、今でも大切にしている。
でも、長く生きていると、少しずつ分かってくることがある。
一人で頑張ることと、一人で抱えることは違う。
頑張ることは、自分の意志で前へ進むこと。
抱えることは、誰にも見せずに全部を自分の中へ押し込んでしまうこと。
この二つは、似ているようで全然違う。
一人で頑張ることは、悪いことじゃない。
自分の足で立つことは、自分の人生を生きること。
誰かが助けてくれるのを待つのではなく、自分で動いてみる。
分からなければ、自分で調べる。
失敗したら、自分で考える。
どうすればいいのか分からないなら、もう一度やってみる。
そうやって、自分の力で一歩を踏み出すことには、大きな意味がある。
自分でやった経験は、自分の中に残る。
成功しても、失敗しても、その経験は次の自分をつくってくれる。
だから僕は、
「自分でやってみる」という気持ちを失いたくない。
誰かに人生を任せるのではなく、自分自身で選び、自分自身で動く。
それは、「独創誠心」の中にある「独力」という考え方にもつながっている。
でも、
ここで一つだけ、間違えてはいけないことがある。
「自分でやる」と「全部一人でやる」は違う。
助けを借りることは、弱さではない。
自分で頑張ることに慣れている人ほど、誰かに頼ることが苦手だったりする。
「こんなことくらい、自分でやらなきゃ。」
「人に迷惑をかけたくない。」
「弱いと思われたくない。」
そうやって、どんどん自分の中に抱え込んでしまう。
でも、本当にそうだろうか。
自分ではどうにもならないことまで、一人で抱える必要があるだろうか。
分からないことを、誰かに聞いてはいけないのだろうか。
苦しいときに、「ちょっと助けて」と言ってはいけないのだろうか。
僕は、そうは思わない。
誰かの力を借りることと、自分の人生を誰かに任せることは違う。
最後に決めるのは自分。
歩くのも自分。
責任を持つのも自分。
でも、その途中で誰かの手を借りたっていい。
人は、一人だけでは生きていない。
自分一人の力だと思っていることにも、誰かの存在がある。
今、自分ができるようになったことを振り返ってみる。
そのすべてを、本当に自分一人の力だけで身につけたのだろうか。
誰かに教えてもらったこと。
誰かの言葉に救われたこと。
誰かの失敗を見て学んだこと。
誰かの作品から刺激を受けたこと。
誰かに背中を押してもらったこと。
きっと、いくつもある。
以前の#003で、僕は人生をジグソーパズルに例えた。
一人ひとりが一つのピースであり、家族、友人、仲間、仕事で出会った人たちの知識や経験が、自分の人生の一部をつくっていく。
あの記事を書いた頃よりも、今はさらに強くそう感じる。
人との出会いは、自分を完成させるためのものではない。
自分一人では見えなかったものを、見せてくれるものなのだと思う。
「助けて」と言える人は、弱い人ではない。
自分の限界を知ることも、自分を知ること。
本当に強い人とは、何でも一人でできる人なのだろうか。
僕は、そうではないと思う。
自分にはできないことがある。
今は分からないことがある。
一人では難しいことがある。
それを認められることも、一つの強さだと思う。
「自分にはできません。」
「教えてください。」
「少し助けてもらえませんか。」
そう言えることは、決して恥ずかしいことではない。
むしろ、自分の現在地を正確に知っているからこそ言える言葉なのかもしれない。
無理をして壊れてしまうまで頑張ることが、本当の強さではない。
自分を守るために、人の力を借りる。
そして、いつか自分が誰かを助けられる側になればいい。
頼ることができる人は、誰かを支えることもできる。
一方通行ではなく、力を渡していく。
人との関係は、「助けてもらう側」と「助ける側」に分かれているわけではない。
今日は自分が助けてもらう。
明日は自分が誰かを助ける。
そんなふうに、立場は何度でも入れ替わる。
自分が苦しかった経験があるからこそ、誰かの苦しさに気づけることもある。
自分が誰かに救われた経験があるからこそ、今度は誰かに手を差し出せることもある。
だから、助けてもらったことを恥じなくていい。
受け取ったものは、いつか誰かへ渡していけばいい。
そうやって人から人へ、見えないものが受け継がれていく。
それもまた、人が生きていくということなのだと思う。
本当に一人になりたいときもある。
誰かと距離を置くことも、自分を守る選択。
もちろん、いつでも誰かと一緒にいればいいという話でもない。
一人の時間は必要だ。
誰にも邪魔されずに考える時間。
自分自身と向き合う時間。
何も話さず、静かに過ごす時間。
そういう時間が、自分を整えてくれることもある。
大切なのは、
「一人でいること」と「一人で抱え込むこと」を混同しないこと。
自分で選んで一人になるのと、
「誰にも言えない」
と思って一人になるのでは、意味が違う。
一人の時間を大切にしながら、必要なときには誰かに手を伸ばせばいい。
その両方があっていい。
自分の人生を、自分だけで完成させなくていい。
誰かとの出会いによって、人生の景色は変わっていく。
僕たちは、自分の人生を自分で生きる。
それは間違いない。
でも、自分だけで完成させる必要はない。
誰かと出会う。
誰かと話す。
誰かから学ぶ。
誰かに助けてもらう。
そして、自分も誰かを助ける。
そういう繰り返しの中で、自分の人生は少しずつ形を変えていく。
#003で「出会いというピース」について書いた。
今、#017まで来て、改めて思う。
人生のピースは、最初から全部そろっているわけではない。
生きている途中で、新しいピースに出会う。
時には、なくしたと思っていたピースが、別の場所から見つかることもある。
そして、自分一人では作れなかった景色が、誰かとの出会いによって完成することもある。
だから、
一人で頑張っていい。
でも、
一人で全部を抱えなくていい。
自分の足で歩きながら、誰かの手を借りてもいい。
そして、いつか自分も誰かの手を握ればいい。
それが、人と人が生きていくということなのだと思う。
― 独創誠心 ―
一人で歩く強さも、
大切にしたい。
でも、
一人で抱え込む必要はない。
苦しいときは、
「苦しい」と言っていい。
分からないときは、
「教えて」と言っていい。
倒れそうなときは、
誰かの手を借りてもいい。
人は一人で生きているようで、
きっと誰かの力を受け取っている。
だから今度は、
自分が誰かの力になればいい。
一人で歩いてもいい。
誰かと歩いてもいい。
自分の人生を歩くのは自分。
でも、その道の途中には、
きっと誰かがいる。
You don’t have to carry everything alone.
Stand on your own feet.
Reach out when you need to.
And when you can,
be the hand someone needs.
KENJI FUKUMOTO



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