人間というものは、実に不思議な生き物だと思う。
嬉しいことがあれば笑い、悲しいことがあれば涙を流す。
誰かの成功を心から喜べる日もあれば、なぜか素直に喜べない日もある。
腹が立つこともある。
悔しくて眠れない夜もある。
理由も分からず、不安になることだってある。
そして、そんな自分の感情を嫌いになってしまうことがある。
「こんなことで怒る自分は、心が狭いのだろうか」
「誰かを羨ましく思う自分は、醜いのだろうか」
「もっと強い人間なら、こんなことで落ち込まないはずだ」
けれど、僕は思う。
感情を持つことと、その感情に振り回されることは、まったく別の話ではないだろうか。
怒りの奥には、何があるのだろう。
人が怒るとき、そこには何かしらの理由がある。
大切にしているものを傷つけられた。
信じていた相手に裏切られた。
自分の努力を軽く扱われた。
あるいは、自分ではどうにもできない現実に、苛立っているのかもしれない。
もちろん、怒りのすべてが正しいわけではない。
思い込みや誤解から生まれる怒りもある。
だからこそ、怒りを感じたときには、少しだけ自分に問いかけてみたい。
「僕は、何に対して怒っているのだろう」
「本当は、何を分かってほしかったのだろう」
怒りの奥を覗いてみると、そこには悲しみや悔しさ、寂しさが隠れていることもある。
ただ腹を立てて終わるのではなく、その理由を理解する。
それだけでも、感情との向き合い方は変わってくると思う。
嫉妬する自分を、否定しなくてもいい。
誰かが成功したとき。
自分より先に夢を叶えた人を見たとき。
心から祝福したいのに、胸のどこかが苦しくなることがある。
そんな経験は、決して珍しいものではないと思う。
僕は、嫉妬という感情そのものを、必ずしも悪いものだとは考えていない。
なぜなら、誰かを羨ましいと思う気持ちの中には、自分が本当に望んでいるものが隠れていることもあるからだ。
「あの人のようになりたい」
「自分も、あんなものを創ってみたい」
「本当は、もっと挑戦したい」
そんな心の声に気づくことができれば、嫉妬は自分自身を知るきっかけにもなる。
ただし、その感情を理由に、誰かを傷つけたり、足を引っ張ったりしてはいけない。
誰かの成功を壊すことと、自分の可能性を育てることは、まったく違う。
他人を引きずり下ろすために力を使うより、自分が一歩でも前に進むために使ったほうがいい。
僕は、そう思う。
感情を抑えることが、強さなのだろうか。
大人になるにつれて、僕たちは感情を表に出さないことを覚えていく。
仕事では冷静でいなければならない。
人前では取り乱してはいけない。
弱音を吐いてはいけない。
もちろん、社会の中で生きていく以上、感情をそのままぶつけない配慮は必要だ。
けれど、それと感情を持ってはいけないということは違う。
悲しいのに、悲しくないふりをする。
傷ついているのに、平気な顔をする。
本当は限界なのに、何も感じていないように振る舞う。
そんなことを繰り返していると、自分の心が何を訴えているのか、分からなくなることもある。
強さとは、何も感じなくなることではないと思う。
悲しいときに、悲しいと認められること。
腹が立ったときに、怒りを感じながらも、相手を傷つけない方法を選べること。
不安を抱えながら、自分に必要な行動を考えられること。
感情を消すのではなく、感情と理性を共に持つこと。
そこに、人間としての強さがあるのではないだろうか。
感情は事実でも、判断が正しいとは限らない。
ここで、ひとつ大切にしたいことがある。
それは、自分が感じた感情と、目の前で起きている事実を区別することだ。
例えば、誰かから返事が来なかったとする。
「無視された」
「嫌われているのかもしれない」
そう感じて、不安や怒りが生まれることもあるだろう。
けれど、相手は単に忙しかっただけかもしれない。
体調を崩していたのかもしれない。
つまり、不安を感じたことは事実でも、その不安から生まれた解釈まで事実とは限らない。
感情が強いときほど、人は自分の考えを正しいと信じやすくなることがある。
だからこそ、少しだけ立ち止まって考える。
「これは事実なのか。それとも、僕の想像なのか」
その問いかけは、自分を守ることにも、誰かを不必要に傷つけないことにもつながる。
感情は大切にする。
けれど、判断まで感情だけに任せない。
その両方が必要なのだと思う。
心が動くから、人は何かを創り出せる。
僕は、デザインを考えるときにも、感情というものが大きく関わっていると感じる。
美しいと思う気持ち。
悔しさから生まれる反骨心。
誰かを驚かせたいという好奇心。
言葉では表現しきれない寂しさや、心の奥に残っている記憶。
そうした感情が、色や形、言葉になって表れることがある。
理性や知識は、作品を完成させるために必要だ。
けれど、そもそも何かを創りたいという衝動は、心が動くところから生まれることも多い。
人間が何も感じなくなってしまったら、いったい何を表現したいと思うのだろう。
怒りも、悲しみも、喜びも。
それらは時として苦しいものだけれど、自分自身の感性を知るための手がかりにもなる。
大切なのは、感情に自分の人生を壊させないこと。
そして、その感情が教えてくれるものを、見失わないことだと思う。
心を支配するのではなく、心を理解する。
人生には、自分の思いどおりにならないことがたくさんある。
人の気持ちも、世の中の出来事も、過ぎてしまった時間も。
自分の力では変えられないものがある。
そして、自分の感情さえ、いつも自由に選べるわけではない。
突然悲しくなることもあれば、思いがけない一言に傷つくこともある。
それでも、その感情をどう受け止め、次に何をするかについては、考える余地がある。
すぐに答えを出せないときは、時間を置いてもいい。
信頼できる誰かに話してもいい。
言葉にできないなら、紙に書いてみてもいい。
大切なのは、感情を無理やり押し込めることではなく、自分が何を感じているのかを知ろうとすることだ。
僕たちは、機械ではない。
だから、いつも冷静でなくてもいい。
いつも前向きでなくてもいい。
ただ、自分の心が生み出した感情によって、自分自身や誰かの大切なものを壊してしまわないように。
そこには、理性と意志が必要なのだと思う。
― 独創誠心 ―
怒りを知っているからこそ、
優しさを選べることがある。
悲しみを知っているからこそ、
誰かの涙に気づけることがある。
悔しさを知っているからこそ、
新しい何かを創り出せることがある。
感情を持つ自分を、
恥じる必要はない。
けれど、
その感情に人生の舵を
すべて預ける必要もない。
心が動くことは、
生きている証でもある。
その心を理解し、
自分の意志で進む道を選ぶ。
感情は、敵ではない。
それは、
自分という人間を知るための、
大切な声なのだから。
Feel your emotions. Understand their meaning. Choose your actions with intention.
KENJI FUKUMOTO



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