評価されないと、自分には価値がないと思ってしまう。
人は、ときどき誰かに認められることで、自分の価値を確かめようとする。
「すごいですね」
「センスがありますね」
「それ、いいですね」
そんな言葉をもらうと、嬉しくなる。
自分がやってきたことが間違っていなかったような気がする。
逆に、どれだけ時間をかけても評価されなかったり、思うような反応が返ってこなかったりすると、
「自分には才能がないのかな」
「やっぱり、やる意味がないのかな」
そんなふうに思ってしまうこともある。
僕自身、デザインを続けてきた中で、そういう瞬間は何度もあった。
自分では「これだ」と思って作ったものが、誰にも見向きもされない。
時間をかけて考えたものほど、簡単に否定されることもある。
でも、長く創作を続けていると、少しずつ分かってくる。
誰かに評価されたから、価値が生まれるわけではない。
評価される前から、その作品には自分が考えた時間があり、悩んだ時間があり、挑戦した時間がある。
そのすべてが、自分にとっての価値なのだと思う。
誰かの「いいね」が、自分の答えではない。
評価は、時代や人によって変わる。
同じものを見ても、
「好き」
という人もいれば、
「自分には合わない」
という人もいる。
昨日まで評価されなかったものが、時間が経つことで突然注目されることだってある。
だからこそ、他人の評価だけを基準にしてしまうと、自分の軸が簡単に揺れてしまう。
もちろん、人からの意見を聞くことは大切だ。
批判の中に、自分では気づけなかったことが隠れている場合もある。
でも、
「人からどう見えるか」と「自分がどう生きたいか」は、同じではない。
誰かの意見を参考にすることと、誰かの評価に人生を預けることは違う。
「いいね」がたくさん付いたから正解。
反応が少ないから失敗。
そんな単純なものではない。
自分が信じられないものを、誰かに信じてもらうことは難しい。
最初に信じる人は、自分でいい。
新しいものを作るとき、最初からみんなが理解してくれるとは限らない。
むしろ、誰も理解してくれないことだってある。
「そんなもの必要なの?」
「それって売れるの?」
「誰が欲しがるの?」
そんな言葉を聞くこともある。
そこで、自分まで、
「そうかもしれない」
と思ってしまったら、その瞬間に終わってしまう。
だから僕は、何かを生み出すときには、まず自分自身が信じることを大切にしている。
もちろん、ただ頑固になればいいという話ではない。
考えて、試して、失敗して、修正して、それでも「やっぱりこれを作りたい」と思えるなら、その気持ちは簡単に手放さなくていい。
最初の一人の理解者は、自分でいい。
誰にも信じてもらえない時間を、自分だけは信じてあげる。
そこから始まるものも、きっとある。
「認められたい」と「自分らしくいたい」は、少し違う。
人に認められるためだけに生きなくていい。
誰かに認められたい。
それは、とても自然な感情だと思う。
頑張ったものを褒めてもらえたら嬉しい。
作ったものを喜んでもらえたら嬉しい。
夢を応援してもらえたら嬉しい。
僕だって、もちろんそうだ。
でも、「認められること」が目的になってしまうと、自分が本当にやりたかったことを見失うことがある。
誰かに好かれるために作る。
誰かに褒められるために挑戦する。
誰かに否定されないように、自分の考えを変える。
そうなってしまったら、いつの間にか自分の人生なのに、他人の評価を生きることになってしまう。
だから、ときどき自分に問いかけたい。
「僕は、本当はどうしたいんだ?」
その答えを、もう一度自分の中から探してみる。
独創とは、自分の中にあるものを信じること。
誰かと違うからこそ、意味がある。
「独創」という言葉を考えるとき、僕は「誰とも違うこと」だけが独創ではないと思っている。
自分が見てきたもの。
自分が経験してきたこと。
自分が悩んできたこと。
自分が感じてきたこと。
それらを、自分なりの視点で組み合わせる。
そこから生まれたものなら、それはもう自分にしか作れないものになっている。
誰かと同じ道を歩く必要はない。
誰かと同じ速度で進む必要もない。
大切なのは、
「自分はどうしたいのか」
という問いを、何度でも自分自身に返していくことなのだと思う。
評価される前の時間を、大切にしたい。
誰にも見られていない時間が、自分をつくる。
誰にも見られていない時間は、決して無駄ではない。
誰も知らないところで勉強した時間。
誰も褒めてくれないのに練習した時間。
何度失敗しても、また作り直した時間。
そういう時間は、SNSの数字には残らない。
「いいね」の数にもならない。
でも、その時間こそが、自分の中に積み重なっていく。
前回の#012で書いたように、続けた時間は、少しずつ自分自身の力になっていく。
評価される前の時間。
結果が出る前の時間。
誰にも見られていない時間。
そこをどう過ごしたかが、未来の自分をつくっていくのだと思う。
自分の人生くらい、自分で価値を決めてもいい。
他人の評価を超えて、自分の答えを持つ。
誰かより優れていなければいけないわけではない。
誰かに勝たなければ、自分の価値がないわけでもない。
昨日の自分より、少しだけ前に進めた。
昨日できなかったことが、今日はできた。
一度諦めそうになったけれど、もう一度立ち上がった。
それだけでもいい。
人生の価値を決めるものは、他人の評価だけではない。
むしろ最後に自分の人生を振り返ったとき、
「自分は、自分の信じた道を歩いてきた」
そう思えることのほうが、大切なのかもしれない。
誰かに認められるまで待つ必要はない。
誰かに価値を証明してもらう必要もない。
自分が信じたものを、自分の手で育てていけばいい。
評価される日が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
それでも、自分が大切だと思えるものなら、そこにはすでに意味がある。
そして、そんなふうに自分自身を信じられる人だけが、誰かの評価から自由になり、本当の意味で自分の人生を創造していけるのだと思う。
― 独創誠心 ―
誰かに認められるために、
生きなくてもいい。
誰かと比べるために、
創らなくてもいい。
自分が信じたものを、
自分の手で育てていけばいい。
誰にも見えない場所で咲いた花も、
花であることに変わりはない。
いつか誰かが見つけてくれるまで、
自分だけは、その花を信じていよう。
Your value is not decided
by someone else’s approval.
Believe in what you create.
Believe in who you are.
KENJI FUKUMOTO



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